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茫然としています。
2001年9月12日そのとき私は、ベッドにいて。
二階で、本を読んでいたら家族の驚愕の声が聞こえました。
ハイジャックされた飛行機がひとつ、ビルにぶつかって、
中継をしている最中にもうひとつぶつかった。
上から押しつぶされていくようなビル。
砂で作ったお城が、波にさらわれていくように
くしゃり、と。
何がなんだかわからなくて、悲しいのかも
わからなかったです。
これからどうなるんだろう。
このことは、何かを大きく変えるのかな。
私は、こんなふうに人を巻き添えにしてまで
自分の意見を通せない。
それは私が、平和主義を掲げる日本の子供だからかな。
飛行機に乗っていた人やビルにいた人たち、
助けに入っていった救急の人たち。
そのビルの近くにいた人たち。
そして、爆破された色々な場所の人たち。
どんな思いをしたんだろう。
色んな国の言葉で、泣き叫ぶ声が聞こえました。
日本の言葉も聞こえました。
でも、彼らを。
アメリカでたくさん人が亡くなったことを
喜ぶ彼らを
「間違っている」
と言い切れる思いもありません。
違和感を感じるだけ。
あの子たちはそういう教育をされて、
それだけを信じているのかな。
私があの国に生まれていたら、今のようには
思っていないかもしれない。
つい最近のことかな。
ある国で、「自爆テロ」をして亡くなった若者の
ことを聞きました。
民族か…国か何かの確執があって、差別のようなものを受けていた人種がいました。
彼らはずっとそういう差別を受けて、それを
晴らすために自爆テロをします。
レストランに入って、自分もろとも爆弾を
炸裂させ、たくさんの「差別をした人種」を
殺すのです。
そして、自爆テロをした青年は英雄になる。
お葬式では祝い事のような儀式をする。
母親も父親も、息子を讃える。
悲しみの色は見せない。
ただ、母親の瞳は揺らいでいました。
それがパレスチナ自治区の人達なのかは、わからないけれど。
彼らの気持ちを知らない私に、あれこれ意見は
できないけれど。
彼らがしたことなのかも分かっていないし。
ただ、苦しみながら、泣き叫びながら
死んでいった人たちは。
その家族や、大切な人たち。
少しでも多くの人たちの命が、心が救われますように。
二階で、本を読んでいたら家族の驚愕の声が聞こえました。
ハイジャックされた飛行機がひとつ、ビルにぶつかって、
中継をしている最中にもうひとつぶつかった。
上から押しつぶされていくようなビル。
砂で作ったお城が、波にさらわれていくように
くしゃり、と。
何がなんだかわからなくて、悲しいのかも
わからなかったです。
これからどうなるんだろう。
このことは、何かを大きく変えるのかな。
私は、こんなふうに人を巻き添えにしてまで
自分の意見を通せない。
それは私が、平和主義を掲げる日本の子供だからかな。
飛行機に乗っていた人やビルにいた人たち、
助けに入っていった救急の人たち。
そのビルの近くにいた人たち。
そして、爆破された色々な場所の人たち。
どんな思いをしたんだろう。
色んな国の言葉で、泣き叫ぶ声が聞こえました。
日本の言葉も聞こえました。
でも、彼らを。
アメリカでたくさん人が亡くなったことを
喜ぶ彼らを
「間違っている」
と言い切れる思いもありません。
違和感を感じるだけ。
あの子たちはそういう教育をされて、
それだけを信じているのかな。
私があの国に生まれていたら、今のようには
思っていないかもしれない。
つい最近のことかな。
ある国で、「自爆テロ」をして亡くなった若者の
ことを聞きました。
民族か…国か何かの確執があって、差別のようなものを受けていた人種がいました。
彼らはずっとそういう差別を受けて、それを
晴らすために自爆テロをします。
レストランに入って、自分もろとも爆弾を
炸裂させ、たくさんの「差別をした人種」を
殺すのです。
そして、自爆テロをした青年は英雄になる。
お葬式では祝い事のような儀式をする。
母親も父親も、息子を讃える。
悲しみの色は見せない。
ただ、母親の瞳は揺らいでいました。
それがパレスチナ自治区の人達なのかは、わからないけれど。
彼らの気持ちを知らない私に、あれこれ意見は
できないけれど。
彼らがしたことなのかも分かっていないし。
ただ、苦しみながら、泣き叫びながら
死んでいった人たちは。
その家族や、大切な人たち。
少しでも多くの人たちの命が、心が救われますように。
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